ヒストリー

堀ミシン商会は、戦後まもなく和泉市府中町でミシンの販売、修理店として創業しました。 先代堀貞雄は和歌山市のミシン工場で習得したミシンの組立技術を生かし、大手メーカーの販売、 自社ブランド(セイラー)の製造、旧シンガー中古品の販売を手懸けておりました。 戦後着物から洋服への時代の変遷も手伝い、ミシンも一般家庭へ浸透しつつありました。 昭和26年、現店主である堀幸雄が生まれました。このような販売形態は昭和33年まで続きますが、 大手メーカーの台頭から自社ブランドセイラーの販売は中止となり、 現店主・堀幸雄は大手メーカーの家庭用ミシンの販売、修理に尽力することになります。 また地元泉州地域の地場産業であるセーター製造に着目し、工業用ミシン分野を新規に開拓し販売を開始しました。 堀ミシン商会は、長年培った技術力、講習ノウハウを生かし、お客様に愛され続けるミシン屋でありたいと考えています。


大阪和泉泉南線の昔の風景です。オート三輪が走っています。(昭和26年頃)
店舗全景の写真です。看板には「ピーチミシン」とあります。ピーチミシンは堺市の業者のオリジナルミシンです。その後、堀ミシン商会オリジナルミシンである「セイラー」の販売に乗り出します。(昭和27頃)

進駐軍(米兵)に店先にて写してもらった写真です。ガラスに映っているのは、写真をとってくれた米兵です。 
**注目**
テント看板、単車の文字が反対になっております。時代を物語っていますねぇ。(昭和28年) 単車のナンバーは和泉市府中町ではなく、当時の泉北郡和泉町府中です。先代は単車でミシンの配達をしていました。
右隅に光洋ミシンの看板が写っています。店先にて(昭和30年)
段ボールがブラザーミシン、中央にいるのが幸雄(現店主)の後ろがピーチミシンです。右奥が日立ミシンです。(昭和31年)
日立、松下(ナショナルミシン)、船井電機(フナイミシン)、福助足袋(福助ミシン)、光洋精工(光洋ミシン)もミシンを製造販売していました。写真右端の看板に、日立ミシンの文字があります。(昭和32年)
セイラ―のミシンと元気な店主がが今日もお客様をお待ちしています(令和元年)

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